今いくよ・くるよの現在と死因の真相|半世紀の絆と「どやさ」の軌跡
昭和から平成、そして令和の演芸界を駆け抜け、女性漫才師の立ち位置を根本から変革した伝説のコンビ「今いくよ・くるよ」。細身で濃いアイメイクを施したいくよさんと、ふくよかな体型に派手なドレスで腹を叩くくるよさんの掛け合いは、上方演芸のひとつの完成形として日本中のお茶の間に笑顔を届けました。
しかし、2015年にいくよさんが旅立ち、2024年には相方を追いかけるようにくるよさんも急逝。現在、二人は天国で再びコンビを組んでいると言われるなか、高校の同級生として出会ってから半世紀以上に及んだ知られざる闘病生活や死因の真相、そして名フレーズ「どやさ」に込められた矜持に再びスポットが当てられています。関係者の証言や当時の記録から、偉大な漫才師二人が残した軌跡を紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:二人の死因は今いくよさんが胃がん(2015年5月28日逝去)、今くるよさんが膵臓がん(2024年5月27日逝去)であり、くるよさんは奇しくも相方の命日前日に息を引き取った。
- 要点2:京都の高校(明徳商業高校)ソフトボール部でバッテリーを組んでいた同級生コンビであり、1970年の弟子入りから一度も解散せず1984年には上方漫才大賞の頂点に輝いた。
- 要点3:いくよさん逝去後、くるよさんは中川家との特別ユニットなどで舞台復帰を果たし、2022年の吉本興業「伝説の一日」で車椅子姿ながら披露した魂の「どやさ」が最後の公式舞台となった。
【追悼と現在】今いくよ・くるよの死因と最期の舞台裏|奇跡のような符合
日本のお笑い史に燦然と輝く足跡を残した今いくよ・くるよの二人は、現在ともに鬼籍に入っています。しかし、その最期に至るまでのプロセスと闘病の姿勢は、芸人仲間やファンの間で今なお語り草となっています。
先立って旅立ったのは、ツッコミを担当していた今いくよさん(本名:里谷正子さん)でした。2014年9月に体調不良を訴えて病院を受診したところ、進行性の胃がんと診断されます。抗がん剤治療を受けながらも「舞台に立ち続けたい」という執念を燃やし、同年12月にはなんばグランド花月の舞台へ復帰を果たしました。痩せ細った体を華やかな衣装で包み、舞台袖で倒れそうになりながらも出番になれば背筋を伸ばしてセンターマイクへ向かった姿は、多くの後輩たちの胸を打ちました。しかし病魔の進行は早く、2015年5月28日、大阪府内の病院で満69歳で息を引き取りました。
最愛の相方を失った今くるよさん(本名:酒井スエ子さん)の悲痛は筆舌に尽くしがたいものでした。それでも「いくよちゃんが愛した舞台を守る」と誓い、ピン芸人として活動を継続。中川家の二人と組んだ特別ユニット「今くるよ・中川家」など後輩の力を借りながら客席を沸かせ続けました。しかし晩年は自身も健康問題を抱え、膝の不調などから車椅子での生活を余儀なくされます。
公の場での最後の雄姿となったのが、2022年4月に開催された吉本興業創業110周年特別公演「伝説の一日」でした。車椅子に乗って舞台中央に現れたくるよさんは、マイクを握りしめ、満場の観客に向けて渾身の「どやさ!」を響かせました。割れんばかりの拍手を浴びたこのステージが、事実上のラストステージとなります。
その後、くるよさんは膵臓(すいぞう)がんとの闘病に入り、2024年5月27日、大阪市内の病院で静かに息を引き取りました。吉本興業の公式発表によると、亡くなった5月27日は、奇しくも相方であるいくよさんの命日のちょうど前日。半世紀以上を共に歩んだ戦友の命日に合わせるかのような旅立ちに、関係者からは「いくよちゃんが『そろそろおいで』と手招きしたのではないか」と、涙と驚きの声が上がりました。

【経歴データ比較】高校の同級生から上方漫才大賞までの歩み
女性漫才師が極めて少なかった時代に頭角を現し、男性優位の演芸界で確固たる地位を築いた二人のキャリアは、常に挑戦と開拓の連続でした。二人のプロフィールと歩みを整理した以下のデータ比較表から、その重みが見て取れます。
| 項目 | 今いくよ(ツッコミ) | 今くるよ(ボケ) | コンビとしての実績・特記事項 |
|---|---|---|---|
| 本名 | 里谷 正子(さとや まさこ) | 酒井 スエ子(さかい すえこ) | 京都明徳高校の同級生(名門ソフト部) |
| 高校時代のポジション | キャッチャー(主将) | ピッチャー(エース) | 国体出場を果たすほどの実力派バッテリー |
| 入門・プロ入り | 1970年(昭和45年) | 1970年(同左) | 大御所・島田洋介・今喜多代に弟子入り |
| 主な受賞歴 | 1981年 上方お笑い大賞 金賞 1984年 第19回 上方漫才大賞 大賞 1986年 花王名名人劇場 大賞 | 女性漫才コンビとして上方漫才大賞を制覇した歴史的快挙 | |
| 病名(死因) | 胃がん(2015年5月28日没) | 膵臓がん(2024年5月27日没) | 享年69(いくよ)/享年70代後半(くるよ・年齢非公表) |
二人の原点は、京都の名門・明徳商業高等学校(現・京都明徳高等学校)の体育会系部活動にありました。ソフトボール部でピッチャー(くるよ)とキャッチャー(いくよ)としてバッテリーを組み、全国高校総体や国民体育大会(国体)への出場を果たすほどのトップアスリートだったのです。
卒業後はそれぞれOLとして一般企業に就職したものの、舞台への夢を捨てきれず、1970年に夫婦漫才の大家である島田洋介・今喜多代師匠へ揃って弟子入りします。当時の演芸界は極めて厳格な徒弟制度が残る世界。女性であることの偏見や下積み時代の理不尽に耐え抜くことができたのは、高校時代に培った上下関係への礼儀正しさと、互いへの絶対的な信頼があったからに他なりません。
「どやさ」誕生秘話と若い頃の奮闘|女性漫才師のパイオニアが破った壁
1980年代初頭の「MANZAIブーム」において、今いくよ・くるよは独自のスタイルを確立して全国区のブレイクを果たしました。その象徴となったのが、くるよさんの代名詞である「どやさ」というギャグです。
元々「どやさ」は、京都弁の日常語である「どうですか」「どんな塩梅ですか」を意味する方言でした。舞台袖でくるよさんが周囲の芸人やスタッフに「これ、どやさ?」と話しかけていた口癖を、いくよさんが「それ、舞台で使ったら面白いんちゃう?」と提案したことがきっかけとなり、ネタ中に取り入れられたと言われています。
若い頃の二人は、その強烈なビジュアルギャップを逆手に取りました。いくよさんはつけまつげを何重にも重ねた濃いアイメイクに華奢なスタイルで「細い女」を強調。対するくるよさんは、肩パットが誇張された派手なサテンのドレスをまとい、大きな腹を両手でポンポンと叩きながら「どやさ!」「よろしいやろ!」と咆哮しました。
昭和の時代、女性芸人が容姿や体型を笑いに変えることには「女を捨てるのか」「品がない」といった世間の冷たい視線や偏見がつきまとっていました。しかし、二人の漫才は決して卑屈な自虐には堕ちませんでした。いくよさんが愛のあるツッコミで受け止め、くるよさんが圧倒的な陽のエネルギーで跳ね返す。体型いじりを「観客を元気にするポジティブな祝祭」へと昇華させた点において、二人は日本のコメディ界における革新者でした。

一般に知られていない盲点とネットの誤解|不仲説を覆す真実
ネット上の掲示板やSNSでは、長年コンビを組む芸人に対して「楽屋では一言も口を利かないのではないか」「実は私生活では激しい確執があったのでは」といった憶測や噂が囁かれがちです。今いくよ・くるよに関しても、過去に同様の不仲説が取り沙汰された時期がありました。
しかし、取材データや関係者の証言が示す事実は真逆です。二人の関係は「ビジネスパートナー」の枠を完全に超えた、無二の親友でした。
吉本興業関係者の証言によると、二人は若手時代から晩年に至るまで、楽屋に入るとまずお互いの健康状態や衣装のチェックを楽しそうに話し合っていたといいます。ギャラの配分やネタの比重を巡って衝突するコンビが多い中、二人は「舞台の上では五分と五分、どちらが欠けても成り立たない」というプロ意識を徹底していました。
いくよさんが胃がんで入院した際、くるよさんは周囲の目を避けて毎日のように病室へ通い、手を握り励まし続けました。そしていくよさんが亡くなった直後の記者会見で、くるよさんは「最高の相方でした。日本一の相方です。いくよちゃん、ありがとう」と涙ながらに絶叫。生涯独身を貫いた二人は、家族以上の精神的支柱として互いを支え合っていたのです。
【実態検証】中川家ら後輩への愛情とお別れの会に滲んだ人徳
今いくよ・くるよが演芸界全体から今なお深く尊敬を集めている最大の理由は、その並外れた後輩思いの人柄にあります。
いくよさんが旅立った後、一人残されたくるよさんを精神的・芸人として支えたのが、実力派漫才コンビの中川家(剛さん・礼二さん)でした。剛さんがいくよさんに扮して濃いアイメイクを施し、礼二さんが「2人目のくるよ」として並び立つ「今くるよ・中川家」のトリオ漫才は、悲しみに沈んでいたくるよさんを再び笑顔にしました。このユニットの誕生は、かつて若手時代の中川家を誰よりも可愛がり、食事をご馳走し、温かく励まし続けた二人の「恩義」に後輩たちが報いた結果でした。
2024年8月に大阪市内でしめやかに営まれた吉本興業主催の「お別れの会」には、中川家をはじめ、西川きよしさん、ハイヒール、トミーズなど東西の看板芸人や関係者数百名が参列しました。祭壇には、いくよさんのトレードマークだったゴージャスなつけまつげと、くるよさんが愛用したド派手なステージ衣装が並べられ、会場には二人の笑い声が響く追悼VTRが上映されました。
参列した芸人たちから異口同音に語られたのは、「いくよ師匠・くるよ師匠に怒られた記憶がない」「いつも美味しいご飯を食べさせてくれて、舞台のダメ出しではなく『あんたらの漫才、最高やで!』と背中を押してくれた」というエピソードでした。二人が遺したものは、漫才の技術だけでなく、「後輩を無償の愛で育てる」という温かな上方演芸の文化そのものだったのです。

【プロの結論】バウンダリーと共鳴が生んだ「半世紀のパートナーシップ」
人間関係や共同経営、ペアワークにおいて、長期間にわたり破綻せず高いパフォーマンスを出し続けることは極めて困難です。家族社会学や心理学の観点から今いくよ・くるよの歩みを分析すると、二人の関係性には現代社会を生きる私たちにとっても極めて示唆に富む教訓が存在します。
二人が半世紀にわたって解散もせず深い絆を保ち続けられた鍵は、「心理的バウンダリー(境界線)」の適切な維持にありました。
親友同士がビジネスを始めると、過剰な馴れ合いから責任の所在が曖昧になり、やがて共依存や激しい憎悪へと転落するケースが後を絶ちません。しかし二人は、高校時代の体育会系バッテリーという「役割分担の規律」をプロの世界でも忠実に守り続けました。マウンドで打者に立ち向かうピッチャー(ボケ)と、全体を冷静に見渡しサインを出すキャッチャー(ツッコミ)。互いの聖域を侵害せず、相手のプロフェッショナリズムを絶対的に尊重したからこそ、私生活の親密さと舞台上の緊張感が理想的なバランスで両立したのです。
この歴史的事実から導き出される「長期パートナーシップにおける判断基準」は以下の通りです。
【このようなパートナーシップを目指すべき人】
- 感情論ではなく、明確な役割分担(ツッコミとボケ、前衛と後衛)を互いに合意できる人
- 相手の成功や目立つポジションを妬むことなく、心から「引き立て役」を楽しめる人
- ピンチの際に責任を転嫁せず、体育会系の信頼感で背中を預け合える関係を望む人
【共同関係において慎重になるべき人】
- 「親しい友人だから」という理由だけで、役割分担や金銭的ルールを曖昧にしたまま事業を始める人
- 相手の言動や評価に対して過剰に干渉し、心理的境界線を越えてコントロールしようとする人
【今 いくよ くる よ】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:今いくよさんと今くるよさんの死因と亡くなった時期はいつですか?
A1:今いくよさんは2015年5月28日に胃がんのため満69歳で亡くなりました。相方の今くるよさんは2024年5月27日に膵臓(すいぞう)がんのため亡くなりました。くるよさんが亡くなった日は、奇しくも相方・いくよさんの命日の前日でした。
Q2:今くるよさんの実年齢が非公表だったのはなぜですか?
A2:吉本興業の公式プロフィールにおいて、くるよさんは「女性の嗜み」や芸人としてのキャラクター性を重んじて生前は年齢を非公表としていました。ただし、いくよさん(1945年12月生まれ)とは高校の同級生であったことから、1946〜1947年前後のお生まれ(享年76〜77歳前後)であったと見られています。
Q3:代表的なギャグ「どやさ」にはどんな意味があるのですか?
A3:京都弁の「どうですか」「どんな具合ですか」という日常的な問いかけに由来しています。楽屋でのくるよさんの口癖を、いくよさんが「舞台で使おう」とアドバイスしたことで誕生し、体型を自虐せず豪快に笑い飛ばすポジティブなキラーフレーズとして日本中に浸透しました。
まとめ:漫才界に刻まれた不滅の足跡と私たちが受け継ぐべきもの
今いくよ・くるよが遺した軌跡は、単なる一世を風靡したお笑いコンビの歴史にとどまりません。女性が舞台で笑いを取ることが難しかった時代に、持ち前の明るさと高校時代仕込みの根性で風穴を開け、後輩たちに広大な道を切り拓いたフロンティアの記録です。
いくよさんの知的なツッコミと、くるよさんの愛嬌あふれる「どやさ」の叫び。二人が見せてくれた「互いを慈しみ、支え合う姿」は、時代が令和へと進んだ現在も色褪せることはありません。天国の舞台で再びマイクを挟み、満面の笑みで客席を沸かせているであろう二人の魂に、心からの敬意と拍手を送ります。 (出典: 今 いくよ くる よ(Yahoo!ニュース))